3世代テーマパークみろくの里
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> 第五章

さわやか扇風機

 快適さに慣れてしまった私達は、リモコン操作一つで自由自在の温度の風を提供してくれるクーラーに夏・冬問わず頼りきっている。今や私たちの生活の中で扇風機よりもクーラーの占める位置は断然大きいと思われる。私たち日本人は昔から暑さをしのぐためにいろいろな工夫をし、それがまた日本人の季節感といったものを育んできた。しかし、その反面、いかに便利に涼を求められるかということは今も昔も変わりない問題だろう。その中で、昭和初期、扇風機の登場は画期的だったにちがいない。
 登場初期の金属製の4枚プロペラの扇風機は、現在のもののように首が振れるでもなく、強弱が可能でもなく、一定の方向に送風するという単純なものだったようだが、それまでうちわを使用して人力であおいでいた頃に比べれば、電動で風を送ってくれる扇風機は重宝がられ、当時の厳しい暑さを和らげるために大活躍したことだろう。
 私たちは、夏の暑さ厳しい日本で涼しくなるための工夫を重ねてきたが、扇風機の登場は、人力での送風から電動への送風へと移行する第一歩だったと言えるかもしれない。

ダイハツ ミゼット

 真ん中に車輪が1つ備え付けられており、正面から見ると自動車というよりも2輪車のバイクやスクーターを自動車の形に近づけたという感じにも見える。
 後ろには、2輪ついているので、乗り心地や運転する上での安定性は悪くなかったのだろうか。案外、4輪の自動車よりも小回りがきいて走りやすかったかもしれない。
 運転席と助手席の2席しかないようなので、大勢乗せての遠出には不向きかもしれないが、荷物を後ろの荷台に積むなど日常使用する車として、今でも問題なく使えそうな気がする。
 いずれにしても想像にとどまるが、どういう乗り心地のもので、どういう人達に愛用されていたか非常に興味をひかれる車である。

アメリカ製・テレビ映画放映開始
●昭和30年に放映された「カウボーイGメン」をかわきりに、次々とアメリカ製テレビ映画の放映が開始された。一番の話題作は「スーパーマン」と「名犬リンチンチン」だったが、この他にも、「口笛を吹く男」「ジャングルジム」など。子供たちだけでなく、大人をも夢中にさせた。
体操国ニッポン
●昭和31年のメルボルン五輪に、日本は代表団総勢118人を送りこみ、200m平泳ぎの・潜水詠法・で話題を呼んだ古川勝、体操種目別鉄棒の小野喬、レスリングでは笹谷正三、池田三男と計4つの金メダルを獲得という快挙を成し遂げた。特に体操は、目を見張る戦いぶりで注目され、これ以降、日本の最も得意とする競技の一つとなっていった。
マナスル初登頂
●昭和31年、槇有恒隊長率いる日本山岳隊は、8125m、世界第八位のヒマラヤの処女峰マナスルの初登頂に成功した。この登頂を成功に導いたのは、過去二回にわたる失敗の経験から得た用意周到な準備で、頂上を踏んだのは今西寿雄隊員とシェルパのガルチェンだった。また、9月に記録映画「マナスルに立つ」が公開されるや、一大登山ブームとなり、遠征隊用に開発された藤倉ゴム工業製の「キャラバン・シューズ」は、登山靴の代名詞となった。
都会と農村の若者の想いをのせた歌
●昭和30年代は、農村に住む若者達が続々と都会へ働きに出ていくという社会背景があり、そういった風潮を反映して、農村に残った若者が都会へ工場労働者として働きに出た若者へ呼びかけたり、農村から都会へ出た青年が古里をなつかしむといったテーマの歌謡曲が目立つようになった。三橋美智也の「リンゴの村から」、春日八郎の「別れの一本杉」、青木光一「早く帰ってコ」など、その代表的なもの。

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